第23回 早坂茂三さんの遺言 その16

早坂茂三さんの遺言 16  指示命令こそリアリズムを

「イノウエさん、あなたは部下に対して『頑張れョ』って言っていませんか?」
「ハア?」

 右手の人差し指と中指にタバコを挟み、右ひじを左の手のひらで支える格好をしていた早坂さんは「頑張れという言葉ほど無責任な言葉はありませんヨ」と言ってタバコをもみ消して、私に向かって座りなおしました。

 そして目を大きく開いて語り始めました。

「私がね、オヤジから教えてもらった大切なことを言いますよ。よ~く聞いてください」
 オヤジとはまさしく田中角栄元首相のことです。

「オヤジが代議士から相談事をされたとき、オヤジからその仕事の段どりをするように私に命じたときの話だけどね。
 小なりとも一国一城の主だ。アンタさんから頼みごとを受けたから来てやった…、なんて気持ちが、お前に露のかけらもあれば相手はそれを見抜きありがたみはなくなるぞ。 いいか、両手をこうつき、畳の縁に頭を擦り付けて、『ご依頼の件、センセイの多少なりともお役に立つように仕事をさせていただきます』とこう言うのだ」

 ここで田中角栄元首相の口上を細かく再現して見せる早坂さんでした。そして話は続くのでした。

「オヤジはね、こうも付け加えた…… 本人に会えなかったら奥方に会いなさい。それもふたりっきりでなければならない。相手の(プライド)気持ちを察してのことですよ……」

「そうそうオヤジはね、もうひとつ私に注意をしましたよ…… ハヤサカ、奥方に会う前に夫婦仲を十分に調べなさい。もしも、仲がよくなかったら奥方に会えば逆効果になる。一国一城の主がタナカに世話になったなどということがわかったら、その代議士の面目丸潰れになるかもしれない。ましてや選挙事務長や秘書はダメだぞ」

 田中角栄元首相が話しているような錯覚におちいる見事な口上に「相手を思いやるこころ」の重要性を感じとることができるのでした。

 そして「頼みごとをしてやっている」のだという恩や義理を相手に与え、自分が満足するのではなく、「相手がお願いをしてくる心中を察して、最後まで黒子に徹して具体的に指示と注意を与える」田中角栄元首相のこころ配りを教えてくれるのでした。

「どうですか?イノウエさん!!今の(口上の)中に『頑張れ』とか、『しっかりやれ』とか言うセリフは出てこないでしょう?
オヤジはね、具体的にしか命令をしなかった。
しかも要点は3つにまとめた。
指示命令もリアリズムだったのです。だからオヤジと私たちも部下には同床異夢(ドウショウイム)などはないのです。」

「『頑張れ』、『しっかりやれ』という上司の意味不明な指示命令ほど、無責任で部下を困惑させるものはないですよ」

 私は早坂さんの目を見つめました。早坂さんもしばらく私を見つめてから、タバコに火を点け、遠くへ「フ~……」と煙を吐きました。この瞬間は、わたしにはとても長い時間に感じるのでした。

 つづく

 2004年10月8日記


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